トライアンフ東京

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Rider’s Story『南会津に陽は傾く』

「また お越しになられたのですね」

南会津

ひなびた温泉集落にある公共浴場

扉を開けた彼は

脱衣場にいた初老の男性に思わず声をかけた。

風呂上がりだった男性はキョトンとした表情で

「えーまぁ、ではお先に」と言い残し浴場を出て行った。

「ここで以前会ったらしいあの男はいったい誰だろう?」

そう思い、とまどったに違いない。

 

彼はその男性以上に自らの言葉にとまどっていた。

なぜなら、そこは彼にとって初めての場所。

 

「なぜあんな言葉であいさつを?」

自らに問いても、答などあろうはずもない。

「言っちまったもんはしょーがない」

彼は忘れることにして、熱い湯を存分に楽しんだ。

 

その日の早朝

まだ薄暗い中、愛車にまたがり東北道へ。

那須岳の雄大な景色を楽しんだ彼がこの集落に着くころ、陽はすでに傾き始めていた。

この集落には、いくつかの共同浴場がある。

しかも、そのうちの一つは混浴だという。

外はだいぶ暗くなってきた。

一箇所に長居はできない。

手拭いで軽く体を拭き、浴衣を羽織った彼は脱衣場を出た。

浴場の入り口は、男女共用だ。

自分の下駄を手に取った瞬間に扉が開き、一人の女性が入ってきた。

「暗い…」

彼女は思わず口にした。

扉の脇に照明のスイッチは見当たらない。

スイッチのありかを知るはずもない彼は、無意識に振り返って入り口とは反対側の壁にあるスイッチを押して灯りをともした。

室内と彼女の表情が明るくなった。

「ありがとう」

彼は言葉を返すことができず、そのまま外に出た。

 

「なぜ俺はスイッチの場所が分かったのだろう?」

この集落に入って以来、キツネにつままれているようだ。

その後いくつかの公共浴場をまわり、当然のように混浴の浴場では何事も起こらず、彼はその日の宿に戻り夕食の時間を待った。

この集落に酒屋はない。

腹ペコだ。

夕食の時間になると彼はだれよりも早く囲炉裏端の居間に陣取り、がつがつと食べ始めた。

やがて、ぽつぽつと他の宿泊客も居間へ入ってきた。

その日は彼以外に二組が泊まり合わせていた。

彼は、わき目も振らず夕食に没頭。

 

「庭に停まってるトライアンフは、あなたのですか?」

その声に彼が顔を挙げた瞬間、おたがいに「あっ!」

先程とまどわせてしまった初老の男性だ。

「失礼だけど…会ったことありますか?」

当然の質問を投げかけてくる男性。

「大変失礼しました、実は…」

彼は自分でもなぜあの言葉であいさつをしたのかわからないのだと説明した。

 

「ここではね」

男性は言う。

「ときどき、そんなことが起こるんだよ」

「これも縁だ、一杯やろう」

となりの席に腰を下ろした。

年に一度は必ずここを訪れているそうだ。

 

やがて、男性の奥様も遅れて居間へ入ってきた。

髪を乾かすのに時間がかかったのだろう。

「あら」

彼女も彼の顔を見て微笑んだ。

「さっきはありがとう」

暗くなりかけた浴場に入ってきた女性だ。

 

不思議な出会いに話は弾み、あたたかな空気に包まれた。

もう一組の宿泊客は、とうに自室に戻っていた。

「私もいただこうかしら」

奥様も地酒を注文した。

「めずらしいじゃないか」

男性もうれしそうだ。

「だって、息子ができたんですもの」

夕刻の公衆浴場で灯りをともしてもらった瞬間がとても素敵だったと繰り返しながら

彼のことを「私の息子」と呼んだ。

「なら俺の息子でもあるな」

何度目かの乾杯を交わした瞬間、囲炉裏の中で炭が爆ぜた。

 

翌日、当然のように同じ座卓につき朝食を共にした。

「珈琲は好きか?」

「はい、特にツーリングの朝には」

「よし、少し走ったところにとっておきのカフェがあるから、そこまで一緒に行こう!」

支度を整え、宿の前で記念撮影。

「先に行っててくれ」

口頭でカフェの場所を聞いた彼は、ゆっくりとクラッチをつないだ。

宿からの距離が意外とあり不安になりかけたころ

洒落た建物が左側に見えてきた。

彼はそのパーキングスペースに向けて車体を傾けた。

ドアベルの音に振り向くと、いかにもマスターといった雰囲気のおだやかな男性がカフェの入り口に微笑みながら立っている。

「○○さんの紹介で参りました。」

マスターはゆっくりとうなずき、彼を店内へ招き入れようとした。

その時、小気味よいサウンドがふたりの耳に届いた。

その音に反応して表通りへ目を向けると

1台のサイドカーが朝の光を跳ね返しながら入ってきた。

「やられた!」

夫婦での温泉ドライブ旅行だと思い込んでいた彼は、映画を観ているかのようなその登場シーンに満面の苦笑いを浮かべるしかなかった。

サイドカーのライダーはヘルメットを脱ぐと、マスターに向かって

「紹介するよ、うちの息子だ!」

彼は、はにかみながらカフェのマスターに向かって軽く頭を下げた。

彼ら親子とマスターさらにマスターの奥様も加わり、光あふれる窓際のテーブルを囲んだ。

昨夕からの出来事を順序良く、わかりやすく、そして想いをこめながら自慢げに話す父親。

やわらかい笑みを浮かべながら聞いていたマスターの奥様がテーブルに置いたのは、とっておきのマロンスイーツ。

「素敵なお話のお礼です」

やがて時計の長針が一回りするころ

珈琲のおかわりまでごちそうになった彼は

4人に見送られながら愛車を走らせた。

映りこむ人影が見えなくなるまでバーエンドミラーを見つめながら。

 


先日開催されたブックカフェイベントにインスパイアされて…

昨年の秋に行ったソロツーリングでの素敵な出逢いについて書いてみました。

全て実際に起こったエピソードです。

長文を最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

 

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